この国の心臓
今村 壱生
1
「人という字は、人と人が支え合ってできている。だから、お前たちも、大人たちを支えるために戦うのだ」
司令官の怒声が、僕の耳を劈く。
上空千二百メートル。グローブを嵌めた手が、汗ばんでいる。足先は冷たく、鼻や耳も冷たい気がする。正面に映し出されたメーターを見ながら、徐々に高度を下げていく。
十二歳の僕には、この高さはちょっぴり怖い。だけど、操縦桿から伝わる振動が、僕の心を落ち着かせてくれた。大きな鉄の塊を僕の右手一本で動かしていることに、いつも嬉しくなる。今日だって例外ではない。
もうこの操縦も慣れたもので、この頃、周りを見渡す余裕が出てきた。このまま東へ向かって直進すれば、方角的には基地に辿り着く。オートパイロットに切り替えれば後は何もしなくていいのだけど、それだと、僕が何のために座っているのかわからない。
後方から太陽の光を浴びながら、前方に広がる景色に思いを馳せた。僕たち子どもが生まれる前、山にはいろいろな動物が暮らしていたらしい。図鑑や博物館でしか見たことがない、大きな毛皮を纏った動物や、幾重にもわかれた角を持っている動物。いまは到底、何も住むことができないであろう山肌を、燃えるようなオレンジが照らしつけていた。
多分僕は、この景色を見るために空を志願したのだろう。それと、一人になれる時間は限られている。
水平飛行へ戻す。前方のオレンジは消失し始め、山の向こうから夜が覗きだした。この、昼と夜の境目を飛んでいる瞬間が、何にも代えがたい幸せな時間だ。
相変わらず司令官が耳元でうるさい。少し掠れた大きな声が、僕たちを委縮させて仕方ない。腹の底から響くような低音が、僕はすごく苦手だ。彼はいま、大好きなビールを飲みながら仕事をしているに違いない。
山を越え、またゆっくりと高度を下げる。基地が見えてきた。僕たちは、あそこから飛び出し、あそこへ戻る。フラクタルのように連続した日々の中で、大人たちのために時間を貪り続けている。
戦争。
僕たちは、戦争をしている。厳密には、僕たちが戦争をしているわけではないが、戦闘をしているのは僕たちだ。どこと? 誰と? そんなことを知らなくても、銃は撃てるし、爆弾を投げられる。ちっぽけな棒一本で、躰の何倍もある戦闘機だって思いのままに動かせる。
基地の上空百メートルまで来た。高度を保ったまま旋回するように指示され、ぶらぶらと操縦桿を動かす。
ようやく次の指示があり、着陸態勢に入る。ここからは、遠隔操縦されるため、僕にとってはもう面白くも何ともない。基地に着いてから司令官の指導を受け、その後はほとんど眠るだけだ。だから、僕はもう眠っている状態と等しいといっても過言ではない。
微かな衝撃を受け、エンジンが完全に停止した。ガスが抜ける音とともに、上部の扉がスライドする。久しぶりに、僕は外の空気を吸うことができた。
2
「よう」
コックピットから離脱した後、基地の中へ戻ろうとしたところ、入口の前で遠藤に声をかけられた。彼は左手を挙げて挨拶をした後、すぐにポケットの中へ手を突っ込んだ。
「やあ」軽く返事をする。
「今日の訓練、お前もこの時間だったんだな。お前の機体が見えたから待ってたよ」
「ありがとう」
遠藤は、僕と同い年の、この基地のエースだ。焼けた肌から覗く白い歯が、この薄暗がりの中でもよく見えた。十二歳とは思えないその堂々とした体躯や、言葉の端々に伺える傲慢さが、彼の自信を倍増させているように感じる。
「このまま、食堂に行くだろう?」
「うん、そのつもり」
「一緒に食おうぜ」遠藤は、僕の肩に腕を回しながら歩きだす。「今日のメニューは唐揚げらしいぞ。シン、お前、ちゃんと食わねえと体力持たねえよ」
「僕が食べられない分は、全部あげるよ」
「本当に、今日はちゃんと食べろよ」そう言いながら、遠藤は僕の背中をバシバシと叩く。
食堂へ行き、料理を受け取るために列に並んだ。夕方の訓練終わりであろう人たちが、徐々に列に並び始めている。皆、子どもだ。明らかに自分たちより若い子が、遠藤のもとへ駆け寄る。
「遠藤さん、どうやったら遠藤さんみたいになれますか?」
「俺も遠藤さんみたいに敵をぶっ殺したいです!」
「今度訓練の様子見せてください!」
喚きたてるように、自分たちの意見を述べている。遠藤は「まずお前らは飯をしっかり食え。話はそれからだ」と適当にあしらった。その後僕の方を見て、お前もな、と言いたげな顔をしたのを、僕は思いっきり無視してやった。
料理を受け取った後、空いているテーブルを見つけて、そこに二人向かい合って座った。いつも通り周りが混雑しているため、大きな声を出さないと会話もできない。
「シン、お前、今日の訓練どうだった?」唐揚げを頬張りながら遠藤がきいた。
「え、どうって、何が?」
「西の海岸線のあたりまで編隊を組んで行ったんだろう? 俺、あっち側は行ったことがないから、何があるのかと思って。ただ与えられた情報より、実際に見た奴にきいた方がいいじゃん」
「うーん、そんなものかな」僕も唐揚げを口にした。「そうか、遠藤は南全域を任されているんだったね」
「そうだよ。だけど、南には何もない。ただ平野が広がっているだけだ。巡行してても何も面白くない」
「面白さを求めて飛行してる人はいないんじゃない?」
「お前はどうなんだよ」遠藤が水を飲みながら言う。
「うーん、どうなんだろう。僕は、最近まで高いところを飛ぶのが怖かった。だけどいまは、綺麗な景色を見られることが嬉しい」僕も水を飲む。「それ以上でも、それ以下でもない」
これは僕の本音だった。僕は十二歳で、この国では戦争をしている。そして戦闘機に乗るように指示されたから乗る。それだけだ。
重要なのは器であって、中身ではない。大人たちは、子どものことを戦争兵器と呼ぶ。何も間違っていないし、それは正しい。世界中が裕福なこの時代に、本当は戦争なんかまったく必要がない。これはまえに遠藤が教えてくれたことだ。大人たちのエゴ、娯楽の一種で戦争が行われているらしい。僕には難しいことはわからないけれど、周りの僕と同い年の子たちが、飛んだまま帰ってこなくなることは悲しい。喋ったこともない、顔だけしか見たことがない眼鏡の男の子も、このまえの戦闘の後から見かけなくなった。
「なあ、シン」遠藤が空のコップを弄びながら言う。彼は既に料理を平らげていた。
「これ、いる?」まだ半分ほど残っている自分の料理を見ながら、僕はきく。
「いや、それはお前が全部食べろ」遠藤は苦笑する。周りを窺うように顔を巡らせた後、声を潜めて言った。「そのことじゃない。今日の司令官、何か様子がおかしかったと思わないか?」
「え、そうかな? いつも通りじゃないの。様子がおかしいのは、お酒のせいでしょ」
僕たちの司令官、本間裕二郎は、この基地のボスだ。戦闘を行うために集められた、八歳から十五歳までの男子約三百名を束ねている。彼の下に何十人も部下がいて、実際の仕事は彼らが行っている。もう七十歳になろうとしている司令官は、自分の好きなことだけをして過ごしているらしい。酔っぱらっていないところは、ほとんどの人が見たことがないという。
いまこの世界で行われている戦争は、テレビゲームやチェスと同じ部類なのだ。数百年前に比べて、様々な技術が目覚ましく発展した世の中。貧富の差がほとんどなくなった上、人工知能の台頭により、人間のすることがなくなってしまった。進みすぎてしまった時代を逆行するように、人間は愚かにも、戦争という行為を娯楽にすることで、何とかバランスを保っている。それは世界のバランスや、人間の持つ脆弱な精神だ。
戦争が娯楽になっているということは、これはビジネスなのだと、遠藤が教えてくれた。だから、ここの基地以外にも日本だけで数百の基地があるらしい。他の拠点と交流することはない。なぜなら、すべて企業が運営している会社だからだ。いまや、一番売れる娯楽が戦争だという。どこの企業も必死になって子どもを集め、会社運営のための種を文字通り育てている。基地での暮らしにほとんど不自由はないし、出撃の頻度もそんなに高くない。訓練はきついけど、頑張れないほどではない。
だけど、僕たちは、戦闘に行けば死ぬ。
戦争には種類があって、相手を殲滅させる全強襲型か、五名の代表がそれぞれ戦い、時間内に残っている機数の多い方が勝利する一騎打ち型、そのどちらかだ。便宜上、二つの内どちらかを選べる形になっているが、一騎打ち型が選ばれることはない。客の求めている物が、全強襲型だからだ。
この戦争がゲームの一種であるが故に、そこにはいくつもルールが存在するらしい。僕たち末端には伝えられなくても、わかる。大人たちは特に隠す素振りを見せないし、そもそも別に隠そうと思ってはいないだろう。
「おい、きいてるか?」
遠藤が僕の顔を覗き込んでいた。僕はぼーっとしていたようだ。
「あ、ごめん。何だっけ?」
「何だっけ、じゃねえよ。司令官の話。あの人、今日様子がおかしかっただろう? まあいいや、どうせいまから司令官の説教があるし」
「そうだね」
僕は残りの料理に少し手を付けた。結局、三分の一ほど残して食器を下げに行く。遠藤と一緒に歩いていると、いつも年下の戦闘兵器たちが寄ってくる。
そのまま、基地の演説広場へ向かう。皆ぞろぞろと同じ方へ歩いている。毎度のことながら、この成熟した技術が横溢している時代に、わざわざ人を集めて肉声を聴かせるのは、どういう考えなのだろう。恐らくこれは、他の基地では行われていないんじゃないか、と僕は思っている。
「シン、この後空いてるか?」
「うん、何もないよ。いつも通り寝るだけだね」
「わかった。消灯の後、お前の部屋に行くよ。話しておきたいことがあるんだ」
「え、何それ?」
「いまじゃなくていいだろう、話すからさ。お前は頭がいいから、その意見を聞きたい。それじゃ、また後で」
班ごとにわかれて整列するため、僕らは別々の方向になる。遠藤の話を思い出しながら、何のことだろう、と僕は思った。僕が彼に意見を求めることはあっても、彼が僕に意見を求めることがあるとは思えなかった。そういった小さな違和感は、初めは小さなものでも、時間とともに大きくなるのが常だ。いますぐ知りたいという欲求が、既に僕の内部を支配していた。
自分の班の列に並ぶ。僕は一番後ろだ。坊主のリーダーが、最年長の威厳を見せようと指示を出している。彼の頬にできた面皰に異様な気持ち悪さを覚え、僕は目を逸らした。
「おい神谷。前向いて整列しろや」わざわざこちらまで歩いてきて、坊主の倉本が言う。
彼は、僕よりずっと背が高い。だけど、マッチ棒のように細いその躰からは、威厳の欠片も滲み出ていなかった。
「はい」答えて僕は前を向く。
倉本がずかずかと前の方へ戻っていく頃には、おおよそ全体の整列が終わっていた。周りの静けさから何となくそう思われた。
約一分の静寂が流れた後、壇上に司令官が現れた。横について立っている男は、僕たちの直属の上司だ。いつも辺りを睨んでいるようなとんでもない形相なのに、こういった場ではより一層その恐ろしさに磨きがかかる。彼に咎められたくないため、皆直立不動で司令官の方を凝視していた。
その司令官が、ゆっくりと左右を見渡した。舞台の上にさらに演説台があるため、僕たちを完全に見下ろす形になる。
「今日の訓練中、俺が言ったことを、一言一句漏らさずに言える奴はいるか?」
ものすごい重低音が、あたりに響いた。大きな太鼓を間近で叩かれた感覚だ。だけど、その後の静けさの方が際立っていた。いつも、司令官は沈黙を有効に使う。
「よろしい」
普段なら、この早い段階くらいから機嫌が悪くなるが、今日はどうやら違うらしい。遠藤が言っていた言葉を、僕は思い出す。
彼は、もうすぐ七十になろうとしているようには到底見えない。いくら医療技術が発達しているとはいえ、ここまでの若々しさを維持したまま歳を重ねることは至極難しいだろう。ジャケットが弾けそうなほど胸を張っている姿は、集団の長に相応しい。皆、彼のことを恐れている。やがて、大きく息を吸い込む音が聞こえた。
「今日、新たに戦争の契約を行った。宣戦布告を遂行したのは、我々の基地である」
そう言った後、司令官はグレーの髪を右手でかき上げた。
いつもの説教だと、子どもの大半が思っていたに違いない。そう思えるようなざわめきが、皆の間を走り抜けた。前方の先輩たちも顔を見合わせたりしている。
「静かにせい!」恐ろしい形相をした司令官が、怒声を発した。
空間をぶつ切りにしたように、一瞬で空気が張り詰めた。皆がまた司令官の方を凝視する格好になり、一心に七十の男を見ていた。
ただ、皆心の中では、現在三つの基地と戦争をしているこの基地に、次の戦争をする余裕があるのか、ということを考えているだろう。それ以外に考えることがないのだから仕方がない。だが僕たちは、現在の相手との戦いの頻度が高くないため、訓練ばかりしているのも確かだ。
「人という字は、人と人が支え合ってできている。だから、お前たちも、大人たちを支えるために戦うのだ」
戦争はビジネスだという遠藤の言葉を思い出し、背中に悪寒が走った。訓練ばかりしているいまの状況では、会社運営のための資金の採算が取れないのかもしれない。いや、そうに違いない。だから戦争をする。
ざわめきが収斂するのを待ち侘びていたかのように、本間裕二郎が声を発した。
「次の戦争は一騎打ち型だ。以上、解散」
3
僕はすぐに遠藤の姿を探した。流れていく人ごみの中でも、彼の姿は見つけやすかった。
「シン、お前こっちに来ると思ったよ。あれ、どう思った?」
「いや、どうって、何で一騎打ち型なんだろう、としか思わなかったけど」
「本当にそれだけか?」
「うん。世界中でほとんど全強襲型しか行われていないんでしょう? それが一番客に好かれるから。それをわかった上で、何で一騎打ち型を行うのかがわからない。ただそれだけ」
遠藤は、腕を組んで僕の方を窺い見ていた。
「今日の訓練で使った戦闘機、何か変なところはなかったか?」
僕は一瞬思案する。頭の中で記憶を探った。
「変なところっていうか、操縦席にカメラがついていたけど。そのことではないよね?」
「そのことだよ」遠藤が苦笑する。
「いや、よくわからないな」僕も腕を組んだ。「もっと、装備が変更されたとか、編隊方法に修正があったとか、遠隔操縦のことだと思ったけど、そうじゃないんだね。カメラがどうかしたの?」
「だからそのことについて話したかったんだよ。いまから班長会があるから、後でな」
彼はさっさと歩いて行ってしまった。僕も後は寝るだけだから、時間はいくらでもある。だらだらと歩きながら、いつもの癖で、断続的な思考を繰り広げた。
ここにいる子どもは、なぜ基地に来たのか。こんなに富が溢れている時代に、なぜこんな場所にいるのか。
人間は技術を進歩させすぎた。ほとんどの人が、家から一歩も出ずに生活の大半を賄える時代になっている。仕事をする必要は特になく、何にも困らずに暮らしていける。高度な技術と引き換えに、人類は、居住可能な土地をどんどん失っていった。一部の整備された都市に、何百メートルもある巨大な筒のようなものが大量に建っている。人はそこで生まれ、そこで死ぬ。他者と関わることが極限まで減ってしまった現代において、外の世界に出ていくことは、何の意味も成さないのだ。
しかし、そんな中でも、否、そんな中だからこそ、犯罪が横行する。かつては未成年と呼ばれていた歳の人間が、人工知能によって多数検挙された。ざっくり言えば、世界中に点在するこれらの基地は、犯罪者の更生施設だ。もちろん、志願して基地に来る物好きもいる。だから、基地にいるからと言って一概に前科持ちだとも言えない。
世界政府によってこの戦争が容認された。ただし、運用には厳しいルールが設けられていて、それを犯した基地は即消滅するという噂だ。これはビジネスで、まだ富を欲している人間たちが、こぞって会社を設立した。国は犯罪者の捌け口を得、経営者は潤沢な利益を得られるという利害一致の関係となってしまった。
世界政府は、世界中に犯罪が蔓延るのを座視するよりも、局所的に人と人とを戦わせて、人間の醜さをその一点に集中させることにしたのだ。客は、全世界の人間であり、いまの時代の娯楽と言えば、ほぼ戦争一つに絞られる。
そんな世界で、僕たち子どもは戦闘機に乗って戦争をしている。どこの誰とも知らない人を殺すだけの傀儡と化した。